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クリエイター:藤原ひろ子(アトリエ朔土)/陶芸しながら暮らす人

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藤原ひろ子(アトリエ朔土)/陶芸しながら暮らす人

「陶器の上側に、その人の考えている料理がのるんです。
そこが“空ろ”。
空ろを感じさせる器を作りたいんです」 。

作品世界のキーワード

深呼吸できるように。

自己紹介

日々の暮らしのいろいろを、
じっくり煮込んでゆっくり濾して。
高級店の味ではないけれど、
すっと体に馴染むスープのような。

そんなくつろぎと懐かしさを醸し出す器を作りたい。

でも、毎日はいつも同じようで同じではないから、
時にはドキッとしたり、ふふふと笑ったり、
使い手の気持ちを引き立てるスパイスのようなものも。

何であれ、誰かに寄り添える作品でありたい。

ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/atelier_sacto

経歴

1994年 学生時代にサークル活動で没頭していた陶芸を再開
1999年 自分の窯を買う
以降、2度の出産を経ながら、およそ年1回のペースで個展
その他クラフトマーケットなどに参加、現在に至る。

クリエイター x ウッテリエ インタビュー

日常の美学がある器づくり

花器『月をのせて』は、月を活ける器である。

月の見える日に使いたい器だ。夜、ベランダのテーブルの上に置く。外に出なくても出窓のカウンターに置いてもいい。そして月を背景にする。花を活ける口の三日月型の上に、ふんわりと満月が座りそうだ。細く長く欠けた下弦の月が、じわりじわりと降りてきて、三日月のかたちと重なるのも素敵である。

024-interview01.jpg でもやっぱり花も活けてみたい。近所を散策して見つけるアヤメを一本。山間のひめゆりも似合いそうだ。すすきを添えてもいいかもしれない。微妙にかしげたフォルムで、なぜかかえって安定感を感じる。

まるで月を活ける器、工房 アトリエ朔土(さくと)を主宰する陶芸家の藤原ひろ子さんの代表作のひとつ。この日常の美学はどこから生まれてくるのだろうか。

【そこに陶芸サークルがあった!】

「美大に行きたかったのですが、押し切るほどの自信もないし、デッサンがイヤであきらめたんです」。

美術に惹かれつつも、普通の大学、普通の学科(日本文学)に進んだ。だから入学当時、自然と美術系のサークル探しに向かった。ところが学内にひとつあった絵画サークルは、評判がイマイチで訪れる気がしなかった。どうしようかなと思っていたところに、陶芸サークルを見つけた。

 

そこは学内の隅。良く言えばオープンな環境、悪く言えば小屋のような、屋根はあれど壁は無しの作陶環境。人聞きは悪いが“バラック”とも言えるところだった。ひと昔前のいわゆる第一次陶芸ブームの頃、窯を買い入れて陶芸サークルができたという。

「陶芸サークルに行くと、“わぁ!新入生!しかも女子!(笑)と大歓迎を受けまして」

先輩が土練りから始まって、ろくろの実演を見せてくれるわ、珈琲にチーズケーキは出されるわ(笑)、それでサークルに入部。回り道はしたが、陶芸との出会いは自然体だった。絵も、大学に通いながら夜間のコースに通って勉強した。

【陶芸サークルから日常の美学をつかんだ】

成りはボロでもサークル活動は本格的。ろくろ、釉薬の掛けかた、調合、ろくろと、先輩から厳しい指導を受けた。学陶(学生陶器連盟)の活動にも参加。学陶の最近の活動を調べると、釉薬体験会、茶道部との合同お茶会、七輪陶芸、そして益子町で2泊3日の合宿とどこかのんびりとしている。だが当時は丸々一週間の合宿。ハードなものだった。

「ほんとうに楽しかったですね」

これだと思った。夢中になれることが見つかった喜び。陶芸をしだすと、陶器が“改めて”見えてきた。転勤族であった父は、各地への転勤に際して陶器を集めていた。その中には唐津焼、小鹿田(おんた)焼など民芸運動からの産物の焼き物もあり、その表現に惹かれた。家の中にすでに目指したい陶芸があった。

 

民芸運動とは、素朴で重厚な作風で知られる河井寛次郎や、大胆な紋様と手ろくろによる素朴な造形の濱田庄司らが主体となった運動である。日常雑器や日用品など、無名の民衆工芸に光をあてたものだ。その代表例が小鹿田焼や唐津焼であり、いずれも九州の伝統ある名品。それが身近にあることに改めて気づかされた。

粘土を整形するうちに、土が丸くなってゆく。電動ろくろを回すのがおもしろくて、そこからできあがる形を“作品”としていた。そのうち、どうやら自分は丸いものが好きだということに気づいた。

024-interview04.jpg 「当時ずいぶんお酒もたしなんだので、徳利ばかり作っていました」(笑)

【回り道の末に、アトリエを構える】

学陶生活を楽しむうちに、だんだん作陶の場で働きたいと思い出したが、資金は無いしツテもない。すぐにはできそうもない。またしても“回り道”をして普通の就職をした。

6年半続けた仕事も楽しかったけれど、窯への想いが切れたわけではなかった。いきなり何十万、モノによっては100万円もする窯を買うのは無理だと思っていたところに、「陶芸教室のアシスタント求む」という広告を発見。これだ!と思って申し込むとなぜか通ってしまい仕事を辞め、陶芸教室で働きだした。

陶芸科の先生や陶器家のアシスタントを続けつつ、個展やグループ展に出品。5年後(1999年)遂に投資を決断して工房 アトリエ朔土を開いた。朔土とは“土でカタチをつくるという漢字の『塑』を上下に分けたもの。その朔には、“新月”という意味もある。いつも清々しい気持ちになれる新月をモチーフにする容器には、想いがこもっている。

【空ろな容器の魅力】

『たまご皿』には、器が空(から)のうちから料理がのっている。

料理の見える容器と、見えない容器があるとすれば、藤原さんのはまちがいなく前者。サヤインゲンの芥子和え、れんこんと牛蒡のきんぴら、どっさりキムチもいいかもしれない。もちろん炒り卵でもいい。飾る容器には興味がなく、使ってもらいたいと語る藤原さん。そのブログに気になる言葉があったので訊いてみた。

024-interview05.jpg 「空ろ(うつろ)、とはどういう意味ですか?」
はにかむようにしばらく考えてからこう語ってくれた。

「陶器の上側に、その人の考えている料理がのるんです。そこが“空ろ”。空ろを感じさせる器を作りたいんです」
料理ののる部分が『空ろ』。何ものっていない空ろのときから、料理する人があれこれ想像できること。それが良い器。料理を生かすのが器の使命なのだ。たまご皿には良い空ろが宿る。

空ろには家の空気ものっている。

元気なときでも、調子の悪いときでも、家族がケンカしたときでも、陶器は使われる。料理が上手くできたときでも、ちょっと焦がしてしまったときでも、陶器は使われ続ける。食器棚に入った器はまるで家政婦のように、それを見ている。

【自然界の色を得て】

 

ずっと悩んだこともあった。それは器の色。クラフト市に行くと、派手な色遣いの器があり、観る人も藤原さん自身も惹かれる。目立つのもいい。ふと、自分の色は何なのだろう?と考えた。ある日自転車に乗っていたら、前に大きな青空があった。

「自然界の色の上なら、極彩色だって似合う」

 

そう考えて自然界にある色、日本の草木土の色、空の青、雲の白をモチーフに定めた。それなら名もない道ばたの草も、野山の花も活き活きと映える。どこに住んでいてもみんなが平等に使える。料理と一体、四季折々の草花と一体なのが、アトリエ朔土の日常の美の器である。

(uttelier go 2009.07.16 2500文字)

 

作品事例

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3つの質問

クリエイターになるための最大の投資は?
仕事以外でも常に手を動かしていること。
いつも美しいと感じる何かを探していること。
作品制作でこだわっていることは?
自分の欲しくないものは決して作らないこと。
スランプになったときはどうする?
まだまだそんなレベルには到達してませんが、
もしなったとしても、何もしない。ただ待ちます。

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